日曜日に試験がおわって、試験が終わったらいろいろと余裕を持ってできると思ってたら甘かった。試験があるから毎日がつまってるんじゃなくて、毎日っていうのはそういうものだったんだ。
しかし、しかしだ。忙しいからといってそれがなんなんだ。
若い友人がいる。知り合ったのは数年前。あの頃はあの子はまだ大学生で、日陰でひっそりと風にゆられているか細い花のような子だった。それが今年はもう大学院に進んで、知らぬ間に気づかぬ随分頼もしく成長していた。根をはっていた。
日常に接点のないわたしたちが細かく連絡をとりあったりなんかするはずもなかった数年間。あちらはあちらでたいへんでいろいろもんちゃくもあっただろう、忙しかっただろうし、きっと走ってるのか立ち止まっているのだかなんなんだかもわからずにいたのじゃないかと勝手に想像している。勝手に想像しているのだが、私は確かに知っているのだ。走って転んで、痛くてうずくまっていたら走っていたことさえ忘れてしまった。そんなことってさ、ねえ、あるじゃないか。
「卒業できたらチョコレートをご褒美に」といっていたのはいつだったか。二人で指をおってみればもう3年もたっていた。「そういえばそんな話しをしていた!」……今まですっかり忘れていたくせに、一旦記憶が蘇ればあの時あの子が食べたいといっていたチョコレートが何だったかも思い出せた。そして、あの時あの子は確かこういったんだ。「おいしいチョコレートのために生きてたりしたら、それってなんかいいっすね」。記憶はいつでも芋づる式だ。
私がしているのは「チョコレートってすごいね」というお話。
そして「若さという理由を超えた我が友人のけなげさは、やっぱりあの頃と同じで今でも少しほろ苦い」というお話でもある。
今日約束をはたそうと、チョコレートを買って宅急便で送った。そしたら、自分が、自分の思っている以上にその友人に感謝していることに気付いたのだ。あの子がここを見ていないことをいいことに書きなぐっている。よぅ、君、ねえさんは感謝しているのだぞえ。
