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June 2007
The Archives
夏至の日のインターネット
わたしはセカンドライフはやらないので知らなかったのだけど、セカンドライフ内でも「100万人のキャンドルナイト」イベントがあるのね。via Potaufeu’s Tumblelog パソコンの電源はつけたままかい?というコメントに苦笑。「できるだけ」電源をおとそうということならば、「パソコンのあかりだけでスローな夜を」ってことなのかもね
さて、わたしはどうしようかな。2時間ぐらいのこと。やっぱりパソコンもテレビも、電気を消してすごそうとおもう。みなさんはどうするご予定?
おばあさんとおばさんとiTunes store
←just for you おかげさまで、iTunes storeはわたしにこんなものをおすすめするようになりました。
いま母は一人暮らし。母の住む家でも「やろうと思えば作業できるんだぜ」というお仕事モードにもなれたら逆にもっとゆっくりできるかと思って去年の夏に回線をひいた。
母は「インターネット?そりゃあやってみたいよ」とはいうけど、どうも口だけっぽいのだ。
やっぱココは買い物でしょと思った私は「たのしぃんだよ〜ほら〜ショッピングだよ〜いろんなものがあるよ〜」と、母をインターネット&パソコンの世界に引き込もうとして実家に帰るたびに楽天で買い物してた(あとからまた買っちまったとブルーになるわけだけども)。
が、なんというか食らいつきがよくないのだよ。
さんざん楽天グルメものを食べたくせに「まあべんりだね、ええもんあったらかっといて」ぐらいなかんじ。
だめなのか楽天。ショッピングたのしいのに。
……と思っていた矢先にみつけたのです。そんな母がモニタに顔をぐっと近づけるものを。
私にとっては意外だったんだけど、それはなんとiTunes storeだった。
いや、まだ私がパソコンを操作するのだけど、やれやまもとじょーじはないのか(なかった)とか、どんどん演歌スターの名前をあげていく母。タイトルだけではいまいちどの曲かわからないので試聴をしつつ「ぉおお!わたしこれ歌える!」と何故か自慢モードにはいる。
「これ、ぱそこんでしかきけんの?」
と尋ねる母に、これで聞く?とチューイングガムサイズのshuffleを見せる。
あまりの小ささにびびる母。いまのはもっとちいさいよ。どんぐらい?こんぐらい。目をまるくする母。
「ジョギングのとき聴くの」とくびれのないウエストに誓って買ったshuffleはこのところ出番が皆無に等しいのであげることにした。
お気に入りの曲も10曲ほどダウンロード。全て演歌。だって郷ひろみがないから。
若い子たちがいくカラオケとちがって、母らのゆくカラオケはスナックだったりする。
そしてそこのカラオケは1曲200円ぐらいなんだそうだ。
母は
「10曲歌うお金で10曲買える」
とつぶやいてから、新曲を練習してみんなを驚かせるんだと言って笑った。
パソコンも自分でやる気になってくれたらいいんだけど(母とボイスチャットとかしたい)。
実家においてあるパソコンはiBookだし、やっぱ大きいモニタでないとだめかな?
わたしが新しいMacをかったら、おさがりさせてあげるかなぁと、計画中(自分が新しいMacを買いたいだけともいうとかいわないとか)。
Jaiku のChannelsの機能|もっとたくさんはなせるかな。
JaikuのChannels機能がついにパブリックになったね。
だれでもChannelをつくれるようになりました。
さっそく#Jpn(日本語ユーザのためのチャンネル)ができたりなんだりしてて、さてこれからどんな風に展開するのか楽しみ。
わたしの場合、twitterよりJaikuの方がお気に入りなのは、かわいいからってのが一番の理由で、その次は「しらない人にも話しかけやすいから」。で、addしててもしてなくても、気になるコメントがあれば、まんまそこにコメントを書きこめるのが「話しかけやすい理由」。「JaikuってTwitterみたくゆるくない」って言われてるけど、私にとってtwitterはゆるすぎてどこに手をかけてよじのぼっていいのやらわかんないんだな。
そんな風にコメントにコメントを書きこむ機能があるから、誰かが気になる話題についてポストしたら、その場がミニミニ議論板みたいになるんだよね。で、さらにChannels、と。
Channelsはテーマに対する興味関心でJoin?
ユーザのみなさんはその人個人に対する興味でadd?
という感じになるの?……うわ、わたし頭わるいから使い分けれないっぽい。
あ、何かについて知りたい場合に当該のChannelがあれば聞いてみるってのはナイスかもだな。
夏なつ〜
今日は外でたんだけど、あついねー。
でも、暑いの大好きだからワクワク。
夏生まれだからかしらん。
今年の春は思ったほどには体調も崩さず乗り越えられたので(春は毎年何かがどこか自分がおかしくなる。おかしくなる=脱皮など)、今年は夏もガンガンいけるんじゃないかと予測(ぅふ
夏ならではの風のにおいってあるよね。
今日はどこからかその香りがしたので、
本日より私的に夏認定!
夏だよ!みんな、なつだよー。
と、でも明日から名古屋地方はまた雨。
それもまたうるおうからよしとしましょう。
声高に鳴こうぜ。ケロケロリン。
夏って、夜がいいんだよね。
Amazonで投票を
改正イラク復興支援特別措置法と教育関連3法が今日可決・成立しましたね。
あ、日付変わってる。
さてみなさん、投票はお済みですか?Amazonでの投票。
「メッセージ 憲法について考えてみる」として投票が行われています。
あわせて憲法を考える本がピックアップされています。こういうのっていいね。書店らしいし。
改憲派も護憲派も、勉強して声を上げなくてはね。
叫べないなら、囁くだけでもいいし。主張するのだ。
ちなみにわたしは9条は絶対変えて欲しくない。
平和憲法はなんとしても守らねばと思っている派です。
「正体」–日曜日のバスタブ
簡単にわかりにくくいえば、このところようやく「開いてゆく」自分を感じている。
もうちっと具体的に言えば、ローカルに保存されているものをもうばしばしとアップしてオープンにしたい気分でいる。
あんなに秘密主義だったのに(ほんとに)、あんなに人見知りだったのに(ほんとに)、隠れていなくちゃやりたいことができないと思っていたのに。
アップしてオープンして、もうほとんどすべてのものを。
一旦それをしてしまえば、人生にさわやかな風がふきこんでくる気がする……なぁんていう幻想なのかこれは?とにかくそういったものにとりつかれている。
いったいどうしてこんな心持ちになったのか。
一日中インターネットにぶらさがって生きているし、職場はこの小さな自宅ではなくこのとてつもなくひろいネットなんだと思っている。だから、インターネットやらwebの変化が何か心に作用しているんだろうなと思う。
だけれども、なにがどう作用したのかっていうのはむずかしい。webが次の段階にすすんだからといって、前時代的な使い方は依然として出来る。ボクらのwebが変わったからといって、そしらぬ顔で今までどおりやっていける部分がまだまだたくさんのこされてる。まったくこの世界は、向かい合うその心持ちでひとつでまったく違ったものに見えるんだ。うーん、「見える」だけじゃなくてまったく違ったものに「なる」のだから不思議だ。ああ!このwebに限らず、おおよそ世の中ってそんなもんか。(ひざをうつ)
それにしても、自分をもっと知りたいという欲求。
オフラインとオンラインとで、そしてそれの区別があまりつかなくなっている毎日の中で、一体何が、どこの誰が、いつ、どんなふうに、私のこの心境の変化に作用したのかを知りたい。
知りたいだなんてまるで他人事のように言っているけど、それは唯一私だけが知っているはずのものだ。にもかかわらず、何かをあばくようで恐ろしい気もする。変なの。
梅田望夫さんが十年前に強く独立したいと願ったとき、なぜそう願ったのかいくつかの理由があれども説明しづらい「内からの促し」があったという(My Life Between Silicon Valley and Japan – 生きるために「読み」 「書くこと」で生きる)。「内からの促し」だなんていわれても、どうやら脳みその出来があまりよくないわたしには少し難しいのだけれども、「いろいろ理由があったけど、なんかもうとにかくこうしなきゃなんないって気がしたんだよね!」ってことかしら。梅田さんはその「内からの促し」の正体を愛読書4冊の中に見出した。「内からの」だなんてとっても自分オンリーな響きだけど、「内」は「外」からの刺激で反応するんだよね。やっぱり。
堪え難い鈍痛とあかるい未来の予感が交互にやってくる。いろーんな意味で大きな大きな大きすぎる転機にいると自認するわたしも、自分の「内」に作用を及ぼしたその正体をゆっくり考えてみようと思う。きっとその正体はひとつじゃないはずだし、一方的なものではないだろうし、そこには偶然と必然が折り重なっているはずだ。
考えれば、web(クモの巣)だなんてよくいったもんだね。あっちこっちとたくさんいろいろつながっていて、つながっているからこそ今ここに立っているんだ。もちろんオンもオフもなく、それらを含めた全部のことが。
約束のチョコレート
日曜日に試験がおわって、試験が終わったらいろいろと余裕を持ってできると思ってたら甘かった。試験があるから毎日がつまってるんじゃなくて、毎日っていうのはそういうものだったんだ。
しかし、しかしだ。忙しいからといってそれがなんなんだ。
若い友人がいる。知り合ったのは数年前。あの頃はあの子はまだ大学生で、日陰でひっそりと風にゆられているか細い花のような子だった。それが今年はもう大学院に進んで、知らぬ間に気づかぬ随分頼もしく成長していた。根をはっていた。
日常に接点のないわたしたちが細かく連絡をとりあったりなんかするはずもなかった数年間。あちらはあちらでたいへんでいろいろもんちゃくもあっただろう、忙しかっただろうし、きっと走ってるのか立ち止まっているのだかなんなんだかもわからずにいたのじゃないかと勝手に想像している。勝手に想像しているのだが、私は確かに知っているのだ。走って転んで、痛くてうずくまっていたら走っていたことさえ忘れてしまった。そんなことってさ、ねえ、あるじゃないか。
「卒業できたらチョコレートをご褒美に」といっていたのはいつだったか。二人で指をおってみればもう3年もたっていた。「そういえばそんな話しをしていた!」……今まですっかり忘れていたくせに、一旦記憶が蘇ればあの時あの子が食べたいといっていたチョコレートが何だったかも思い出せた。そして、あの時あの子は確かこういったんだ。「おいしいチョコレートのために生きてたりしたら、それってなんかいいっすね」。記憶はいつでも芋づる式だ。
私がしているのは「チョコレートってすごいね」というお話。
そして「若さという理由を超えた我が友人のけなげさは、やっぱりあの頃と同じで今でも少しほろ苦い」というお話でもある。
今日約束をはたそうと、チョコレートを買って宅急便で送った。そしたら、自分が、自分の思っている以上にその友人に感謝していることに気付いたのだ。あの子がここを見ていないことをいいことに書きなぐっている。よぅ、君、ねえさんは感謝しているのだぞえ。
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