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June 2007
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「正体」–日曜日のバスタブ
簡単にわかりにくくいえば、このところようやく「開いてゆく」自分を感じている。
もうちっと具体的に言えば、ローカルに保存されているものをもうばしばしとアップしてオープンにしたい気分でいる。
あんなに秘密主義だったのに(ほんとに)、あんなに人見知りだったのに(ほんとに)、隠れていなくちゃやりたいことができないと思っていたのに。
アップしてオープンして、もうほとんどすべてのものを。
一旦それをしてしまえば、人生にさわやかな風がふきこんでくる気がする……なぁんていう幻想なのかこれは?とにかくそういったものにとりつかれている。
いったいどうしてこんな心持ちになったのか。
一日中インターネットにぶらさがって生きているし、職場はこの小さな自宅ではなくこのとてつもなくひろいネットなんだと思っている。だから、インターネットやらwebの変化が何か心に作用しているんだろうなと思う。
だけれども、なにがどう作用したのかっていうのはむずかしい。webが次の段階にすすんだからといって、前時代的な使い方は依然として出来る。ボクらのwebが変わったからといって、そしらぬ顔で今までどおりやっていける部分がまだまだたくさんのこされてる。まったくこの世界は、向かい合うその心持ちでひとつでまったく違ったものに見えるんだ。うーん、「見える」だけじゃなくてまったく違ったものに「なる」のだから不思議だ。ああ!このwebに限らず、おおよそ世の中ってそんなもんか。(ひざをうつ)
それにしても、自分をもっと知りたいという欲求。
オフラインとオンラインとで、そしてそれの区別があまりつかなくなっている毎日の中で、一体何が、どこの誰が、いつ、どんなふうに、私のこの心境の変化に作用したのかを知りたい。
知りたいだなんてまるで他人事のように言っているけど、それは唯一私だけが知っているはずのものだ。にもかかわらず、何かをあばくようで恐ろしい気もする。変なの。
梅田望夫さんが十年前に強く独立したいと願ったとき、なぜそう願ったのかいくつかの理由があれども説明しづらい「内からの促し」があったという(My Life Between Silicon Valley and Japan - 生きるために「読み」 「書くこと」で生きる)。「内からの促し」だなんていわれても、どうやら脳みその出来があまりよくないわたしには少し難しいのだけれども、「いろいろ理由があったけど、なんかもうとにかくこうしなきゃなんないって気がしたんだよね!」ってことかしら。梅田さんはその「内からの促し」の正体を愛読書4冊の中に見出した。「内からの」だなんてとっても自分オンリーな響きだけど、「内」は「外」からの刺激で反応するんだよね。やっぱり。
堪え難い鈍痛とあかるい未来の予感が交互にやってくる。いろーんな意味で大きな大きな大きすぎる転機にいると自認するわたしも、自分の「内」に作用を及ぼしたその正体をゆっくり考えてみようと思う。きっとその正体はひとつじゃないはずだし、一方的なものではないだろうし、そこには偶然と必然が折り重なっているはずだ。
考えれば、web(クモの巣)だなんてよくいったもんだね。あっちこっちとたくさんいろいろつながっていて、つながっているからこそ今ここに立っているんだ。もちろんオンもオフもなく、それらを含めた全部のことが。
PHSじゃ不満か?店員さんよ。
アップルストアにいったついでにベネトンショップへ行った@栄, 名古屋
お会計テーブルでちょいとみてみると、WILLCOMのベネトンコラボモデルが置いてあった。
なんかすべすべした感じと、ダルカラーが思った以上に素敵でかわいかったのでおもわず店員さんに
「これ、かわいいですね〜」
と声をかけると
「え、ぇぇ……」
と気のない返事。そして、
「う〜ん、でもこれピッチなんですよぉ」
と不満げに語る。
「え、わたしピッチですけど」
と言ってみると
「すみません〜」
と何故かあやまられちゃった。
二個持ちはしない(というより貧乏だから出来ない)のでどうせ買わないし。<ベネトンコラボモデル
こっちこそごめん。
にしても、この頃の携帯・PHSってカラフルで見てて楽しいよね。
我が母はソフトバンクなのですが、この前機種変更したいというのでついていったのだ。
わーすごい、何色にしようか〜って自分のじゃないけど迷ってしまった。
でも、WILLCOMのほうが色のセンスがいいっておもうわ。
こちらPDA×TPO@物欲狂抑鬱症 ウィルコムWX320K新色、ちょっとイイかも・・・で丁度しったのだけど、WX320Kのピンク素敵。新しいnine.のグリーン、きれーい。
いろが選べるっていいよね。なんかうきうきするもん。
WEB2.0的コミュのみんなでWEBサービスを創ろう会(第1回作戦会議)にskypeで参加
さて、忘れないうちに書いておかなければ。
昨日は、こちら[mixi] Web2.0的 | WEB2.0的コミュのみんなでWEBサービスを創ろう会(第1回作戦会議)にスカイプで参加させていただきました。
みなさんホントに脳みその精度が高い方ばっかりでとても勉強になったのです。感謝。
印象深い発言はたくさんあったのだけど、1番気になった発言は「制作段階からweb2.0的に」と言うもの。
名古屋にいる私が、渋谷の会議にスカイプで参加できちゃうんですもの、いろんな意味で「みんなの力で1つのものを創り上げる」環境が整ったのだろうね。様々な能力を、時には持ち寄っている意識もさほどないうちに、何かが形作られていくのが目に見える状態で進んでいくってワクワクするものです。
「それってweb2.0だよな」っていうよりも、「それってweb2.0的だよな」という言いかたをよく見かけない?「的」がついてるってことは2.0チックだけど、ズバリ2.0じゃないのよってことではなくて、web2.0に様々な面が包括されているからじゃないだろか?
同じくskype参加組だったみさりーぬさんが「リアルな世界との融合」というweb2.0の捉えかたを発言されてましたが、それも「ぉ〜なるほど」と思いました。うん、なるほど!
それではわたしにとってもっともweb2.0的なことは何かと考えた。
「提供側と受取側にパックリとわかれていないもの/こと/場所」
それを happy flavorで。
ユーザがサービスを利用することで、
ユーザ自身やその利用自体がサービスの一部となるもの。
そしてユーザがサービスを利用しようとする理由の1つに
その他のユーザの存在があるもの。
ユーザvsサービスでもなく、ユーザvsユーザでもなく、サービスとユーザとユーザ同士とあいまって
「withな関係」
にとってもweb2.0的ワクワクを感じるのです。
言葉なんてどうでもいいね。ワクワクの素がたくさんある。それが大事なのだよだよね。
*最近なんでも「ニーテンゼロ」なんだけど、DoCoMoには絶対移転しない。iPhoneがDoCoMoからで無い限り(evil >:-) )
それはともかく、「電話2.0」という言葉に対して師匠Aが発した言葉。
「電話なんて15.0ぐらいいってねーか?」きっとその数字は根拠レス。でも2.0ってことはないかも。確かに。
*昨日の夜、デジタル・ワークスタイル読みながらちょっと涙が出た。まだ全部は読んでない。
OmniGraffle Pro - 思った以上に活用の幅が広いお気に入りツール
これからしばらく、お気に入りのソフトについて書いていこうかなっておもいます。
もちろん仕事で、てっとりばやくキレイっぽいサイト構成図やら提案書をつくることもあるけど、仕事だけじゃない遊びだけじゃない、幅広い場面で使ってるお気に入りのソフト。
これからやりたいことを計画したり、これまでやってきたことをまとめて整理したりする。勉強するときはいつもOmniGraffle Proが一緒だ。
勉強を計画する段階から、本・テキストをまとめることも、OmniGraffle Proでやるとたのしい。
マインドマップの父、トニー・ブザン氏にしてみれば「いやいやそんなのちがうよ!」ということになるのだろうけど、十分マインドマップ的に使えると思っている。彼の公認となっているのはiMindmMapで、これも試用してはみたものの、描画中に画面がちらつくなどが(ほんとに少しなんだけども)どうしても我慢できなくて使うのはよした。
かなりお気に入り度の高いOmniGraffle Pro。ひとりでぽちぽちステンシルをつくってにんまりしたりしている。そのうちステンシルも公開してみよう ![]()
こんなふうに話す子が本当にいるのはてなびっくり 絵文字をいちいち話す園児
正直驚きました。こちらで知ったのですが、携帯などでメールを打つときに入れたりする「絵文字」をそのままいちいち会話の中に言葉で挿入しながら話す園児の話しです。
「幼稚園でお砂遊びしてたら雨降って来ちゃったの泣き顔。」 これをふわっと街中で聞いたら、引っかかりますよね、「泣き顔」って部分に。その後も「雨」「涙」「お日様」「にこにこ」といった言葉を文章の最後つけて喋っていて、そのこどもと平然と話をしているお母さんは、竹下通りを神宮前交差点の方向へ曲がっていった。
[CNET Japan Blog - ケータイ時代のスタンダード](http://blog.japan.cnet.com/matsumura/ “”)
えーほんとに?にわかに信じがたいが、こんなことでウソをつく必要もないからほんとうにそういう話しかたをする子がいたんだろう。
いやでもまて。なんかの遊びかもしれないふざけてたのかもしれない。にしても、妙ではあるのだけど。
だからといって女の子の声のトーンは、ケータイの画面に出てくる文字のような、決して平坦なモノではなかった(もちろん最近はデコメールも普及してきて、メールの文字列が平坦、と言うわけではないけれども)。表情だってちゃんと会話と連動していたんじゃないだろうか。けれども、「泣き顔」「涙」は文末につけていくのである。
[CNET Japan Blog - ケータイ時代のスタンダード](http://blog.japan.cnet.com/matsumura/ “”)
声のトーンが平坦じゃないということで、安心したのやら、逆にもっと不安というか。とにかくおどろき。
この記事を知ったFPN-絵文字を音読する幼稚園児の会話にも書いてある、かつての「チョベリバ〜」とは違う衝撃がそこにある。
「チョベリバ〜」っていうのは「ちょう、べりー、ばっど」を言い換えただけだから、言葉を違う言葉に変換してるだけだもの。
言葉を違う言葉にしていく過程で、「超」をつけたり、省略の仕方だったり、イントネーションの変え方という「時代性」が表れる。
絵文字は、文字ってついてるけど、絵だもの(そうだよね?少し混乱してきた)。絵文字は、相手がそこにいなくて顔を見せられないからつけてるんだよね?
気持ちを絵にして貼り付けているのなら、変換すべきは絵→言葉ではなくて、感情→言葉だから、
「幼稚園でお砂遊びしてたら雨降って来ちゃったの泣き顔。」 ではなくて、「幼稚園でお砂遊びしてたら雨降って来ちゃったの。かなしかった。」 になるはずなんだよね。
衝撃度はかなり、かなり高いのですが「嘆かわしい」というものとはちょっと違った感情。未知のものへの興味でいっぱい!といった感じ。
と、書いてから考えたけど、自分の身近にそんな子どもがいないから「興味津々」と言えるのであって、もしこんな話しかたを自分の家族がしていたら、うざったいことこの上ない。
「そんな話しかたやめてよ」
「どうして。はてな。なきがお。」
「だって、うざったいから」
かつて「ちょべりば〜」にまゆをひそめていたおばさんたちは、わたしが今感じている「うざったさ」を感じていたんだろうか?
「ちょべりば〜」と「泣き顔」の違いが理屈としてあるから、わたしは「泣き顔」に違和感を感じるのか?
もしかして「ちょべりば〜」と「泣き顔」の違いがいくら理屈としてあろうとも、そこから得るうざったさがかつての「おばさん」たちにあったものとおなじなら、これ、わたしが名実ともにおばさんになった証拠かもしれない。乾杯。
とにかく、もしもほんとうに日常会話に絵文字が言葉で挿入されているなら、そうなるにはよっぽど絵文字にふれているはず。メールを読むだけでなく書くこともかなり頻繁だろう。これだけは間違いない。やはり、幼稚園児おそるべし。
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