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相棒は猫である

昨日は本当にひーたんがヒドかった。やよいちゃんにあやまれ。

11.08.09

今日はすこしアンニュイひーたんは、やよいちゃんをおそれている。それは以前から。

とはいっても昨日はほんとひどかった。

やよいちゃんがいることにテンパってしまい、飼い主のわたしに「はああーーーっ!」と威嚇する始末。
鼻の横あきらかにふくらんでいる。
緊張しすぎてしゃっくりまでだしやがった。

やよいちゃんはもちろん、ひーたんにひどいことなんてしないし、「かわいいなあ」といってくれているのに。にもかかわらず、だ。

やよいちゃんが見つめるとひーたんに(それは明らかに、本当に明らかに)緊張が走るので、同じ部屋にいるのにひーたんに背を向け、ひーたんライブustreamの画面を見て「ひーたんおめめまんまるでかわいいな」というやよいちゃんに涙ぐみそうになった。

一時は、やよいちゃんの足下に来てくんかくんかするぐらいにはなっていたのに。なぜ?

  1. やよいちゃんがくるのが少しお久しぶりだったから?
  2. やよいちゃんのかぶってた帽子がジャミロクワイみたいだったから?
  3. やよいちゃんから10匹もの猫の匂いをかぎとっているから?
  4. やよいちゃんの身に付けてるふわふわを、猫から剥いだ毛皮だとおもっているから?
  5. やよいちゃんはどこかしこキラキラしてるから?
  6. やよいちゃんのこと、ちいさい人間じゃなくて、でかい猫だとおもってるから?

理由はこれぐらいしか思いつかない。
今後のやよいちゃんとひーたんの関係は、いったいどうなるのだろう。

救われた?【まいにち短歌 83日目】

07.10.09

「目を細めまるで世界を統べるかの顔つきで外眺める家猫」

「今日もみぃーんな救われた。サンキュー、ひーたん!」

なんて(パワーパフガールズ的な)ナレーション背負ってキメてるかのように
満たされた顔つきでで外を眺めるやつ。
そういうときはキッチンの椅子の上(しかもクッションが置いてある椅子限定)におすましで座っている。

が、しかし。

ここらを統べているのはハトらであるのだよ、ひーたん。
商店街のおいちゃんだって彼らにはかなわないのだから。

けど安心せい。
わたしがあなたに救われてあげようというのだ。

「サンキュー、ひーたん!」

添い寝する猫。夏。【まいにち短歌 82日目】

07.09.09

「息立てずそっと背中を合わせ寝る
 猫の体温夏夜に溶ける」

うちの猫は涼しいところとか探すの「も」下手。
で、ここ数日はわたしにやさしい。
やさしくしてくれるのはうれしいけど、
くっつくとあついよー。

ぱっとめがさめると、
鏡写しみたくわたしと猫とで対称で寝てて苦笑。
なんてことがよくある。

空の上のほうにすんでる巨人が見たら、
わたしも猫もおんなじようなもんだよね。

猫は心配するのか【まいにち短歌 79日目】

07.06.09

「覗き込む 表情筋の 無い猫の
 心配顔は 気のせいなのか」

心配してくれてるわーなんてのは、
やはり人間の(飼い主の)思い過ごしかしらね。

たまに「うっ!!!!」って死んだふりとかするんだが、
近寄って来て、
くんかくんかとにおいをかいで、
「ふっ」って感じで去って行く。

ばれてるのか、見捨てられてるのか。
さてどっちでしょうか。

おニューのカリカリ皿、受け入れらる!

06.09.09

ひなたの、カリカリのおちゃわんわっちゃった……。うちきたときからずっとつかってたのに。ごめん。

[Twitter / リエ](http://twitter.com/Amei/status/2015210432)

ひーたんのあたらしいお皿お皿を割っちゃったのだ。そしてこの写真は、新しいお皿たち。

うちの猫ひーたんは特別にこだわり屋だ。
生後2ヶ月でうちにきたのだけど、
その前は保護主さんのところで暮らしていた。
彼女は生後間もない雨の降る日にポストの根元に姉妹らとビニール袋にぎゅうぎゅうづめにつめられて捨てられていた。
保護主さんのところでしばらく過ごし、
2ヶ月の子猫でうちにきた。

わたしは猫を飼うのが初めてだったので色々と緊張していたのだが、「心配無用」と笑いながら保護主さんはこう言った。

「洗って乾かそうとたてかけているトイレにわざわざ用をたすんです。
他の子達はまだどこがトイレかいまいち覚えきれていないのに。
一度使えばきっと何でもすぐに覚えます。」

保護主さんの言う通り、
彼女は「自分のトイレ!自分のタオルケット!自分のお皿!自分の爪研ぎ!」ときっちり使ってゆく。
ふとしたことで「ムラっ!」ときても、「たたたたたたたたたたっ!」と爪研ぎまで走って行って爪を研ぐ。
気に入ったおもちゃはさんざ遊んだ後には必ず自分のエサ入れに持って行く。
新しく家に来たもの(わたしが買って来たものなど)は必ず臭いを嗅いでチェックする。

そんなひーたんなので、
皿が割れたのはかなりショックだったようだ。
すぐに真新しいお皿を出してカリカリを入れてあげたのだが、食べない。
なんと3日経っても食べない。

エサはたっぷりいれてあるのに、
わたしをエサ場まで誘導して「にゃーあああん」となく。
「どうせいっちゅうのん、エサはいっとるが」なんていう飼い主の言葉を解するはずもない彼女。

週末は私は泊まりで出かけていた。
「私がいなければ意外に不安になって食べるんじゃないだろうか」という希望的観測を裏切り、外泊から戻った私をがっくりさせた。
ちょこちょこは食べているのだろうが、エサはほとんど減っていなかったのだ。
(しかしわたしはこういうときに缶詰だして猫に迎合するようなこともしない。)

ひーたんだって腹は減るよ
食べるきっかけが欲しかっただけじゃない?:-)

そういったのはどこかひーたんとソウルがつながっている私の幼なじみ。

徹底抗戦するにしても、
とりあえず出した皿なのでスペースにあっていない。
別の皿を早々に与えてそれを新しいひーたん皿に決めなくてはと思っていた。

そしてわたしは、
「なんか使ってない、もしくは使い古した皿をクレ!」
と幼なじみ宅で図々しくも言い放ち、写真の皿をゲットしたのだ。
思いがけず素敵な皿がでてきてたじろいだので、
彼女の隠し貯金箱(隠していないか。わたしが知ってるぐらいだから)に100円玉入れといた(ケチw)

いや、言い訳をすると、
私の家にはひーにあげられる使い古しの皿が無く(だから新品を出した)
ひーがエサを食べたがらないのは新しい皿臭(そんなもんあるのか?)への拒否反応ではないかとおもったのだ。
だから使い古しを貰ったというわけで。

幼なじみの家から戻り、
さっそくあたらしい皿にエサを盛り、
さあ!たべるのだ!とまずは手でカリカリをすくってみせ、
手から食べさせる。

「このカリカリと、皿のカリカリは同じなのだ!」

と印象づけて皿から食べさせる。

「カリッ……カリッカリッ……カリッカリッ……」

うむ。それでいいのだ。ひーたんよ。
幼なじみのふらんそあ、君のおかげで平和は保たれた。

このお皿は割らないように気をつけます。はい。

週末、合宿で皿を割った顛末、
そして親愛なる幼なじみの話をきいてくれた劇団のみなさま、
合宿後、こんな風に二つのストーリーの主人公がつながりました。
なんか不思議な気持ちです!

[相棒猫] 猫と人とうた

12.11.08

「さあママ 町を出ようよ 激しい雨の夜だけど
仕度は 何もないから はだしでドアをあけるだけ
形見になるようなものを 拾うのは およし
次の町では そんなものは ただ邪魔になるだけ」

——中島みゆき『流浪の詩(さすらいのうた)』

家政婦はみたわたしの大好きなうた。
曲をずっと聞いていけば分かる。ママとは、旅をともにする黒猫の事。

多分この猫は、ずっと旅人の傍らにいるだけの存在だろう。

傍らにいることで、人間が勝手に慰められたりして、ずっと一緒に連れていってしまう。

猫もずっと一緒に、ただついていく。

それが猫の仕事だと、人間は思っている。

ただ居るだけで何もしないこと。

[相棒猫] 猫に小判

12.10.08

カエルとひーたん猫という生き物は、病気さえなければお金のかからないものである。

うちなんかは、割合高級なカリカリを買ってあげているが、それでも月に1500円程度。人間さえこだわらぬなら、500円でも十分イケるだろう。
それに、トイレ。いろんなタイプの猫砂がある。うちは「ひのき」の猫砂だ。月に1000円程度。
しかし、「新聞紙裂いたのをしきつめてるわ」という人だっている。これなら実質0円ではないか。

愛猫と暮らしはじめるにあたって、食べ物と猫砂以外に買ったものは、

* トイレ 1500円
* ごはんとお水の容器 ふたつで500円
* つめとぎ 1000円
* リード 2800円
* くびわ あまり布で手作りのため0円
* お昼ねクッション あまり布で手作りのため0円

ざっと、これぐらいだった気がする。

きっと、究極のインドア派であることがポイントなのではないか。

もし、犬のように、毎朝の散歩があったら、何か着せたくなるかもしれない。
リードもかわいいものを何本も揃えてしまうかもしれない。
シャレた「飼い主」を私はきっと気取ってしまうに違いない。
今でさえ、ペットショップに行けば、何か買ってあげられるものがないか捜してしまうのに。
愛は金じゃあないんだぜ。だけど、愛を、金を使って表したい。そう思う時だってある。

そんな私を、彼女は一体どんな風に見ているのだろうか。
彼女は、お金のかかっているものほど無視をするのだ。
そのくせ、チラシ広告で1時間も遊び続ける。
そうして私の愚かな行動を戒めているとでもいうのか。

「まだまだ、あんたはなにもわかっていない。生きるということが。そして愛するということが!」

という目かどうか定かではないが、まっすぐとわたしを見据える。

そうしたら結局は、「よしよし」と頭や背中やおなかをなでてあげるしかなくなる。
なぜか私は、毎日小さな失恋を繰り返している気分になる。それでいいのだろう、きっと。

(2006/09/07 わたしの日記より 相変わらず、お金のかかったおもちゃはシカトです。)

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