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相棒は猫である

[相棒猫] 猫と人とうた

12.11.08

「さあママ 町を出ようよ 激しい雨の夜だけど
仕度は 何もないから はだしでドアをあけるだけ
形見になるようなものを 拾うのは およし
次の町では そんなものは ただ邪魔になるだけ」

——中島みゆき『流浪の詩(さすらいのうた)』

家政婦はみたわたしの大好きなうた。
曲をずっと聞いていけば分かる。ママとは、旅をともにする黒猫の事。

多分この猫は、ずっと旅人の傍らにいるだけの存在だろう。

傍らにいることで、人間が勝手に慰められたりして、ずっと一緒に連れていってしまう。

猫もずっと一緒に、ただついていく。

それが猫の仕事だと、人間は思っている。

ただ居るだけで何もしないこと。

[相棒猫] 猫に小判

12.10.08

カエルとひーたん猫という生き物は、病気さえなければお金のかからないものである。

うちなんかは、割合高級なカリカリを買ってあげているが、それでも月に1500円程度。人間さえこだわらぬなら、500円でも十分イケるだろう。
それに、トイレ。いろんなタイプの猫砂がある。うちは「ひのき」の猫砂だ。月に1000円程度。
しかし、「新聞紙裂いたのをしきつめてるわ」という人だっている。これなら実質0円ではないか。

愛猫と暮らしはじめるにあたって、食べ物と猫砂以外に買ったものは、

* トイレ 1500円
* ごはんとお水の容器 ふたつで500円
* つめとぎ 1000円
* リード 2800円
* くびわ あまり布で手作りのため0円
* お昼ねクッション あまり布で手作りのため0円

ざっと、これぐらいだった気がする。

きっと、究極のインドア派であることがポイントなのではないか。

もし、犬のように、毎朝の散歩があったら、何か着せたくなるかもしれない。
リードもかわいいものを何本も揃えてしまうかもしれない。
シャレた「飼い主」を私はきっと気取ってしまうに違いない。
今でさえ、ペットショップに行けば、何か買ってあげられるものがないか捜してしまうのに。
愛は金じゃあないんだぜ。だけど、愛を、金を使って表したい。そう思う時だってある。

そんな私を、彼女は一体どんな風に見ているのだろうか。
彼女は、お金のかかっているものほど無視をするのだ。
そのくせ、チラシ広告で1時間も遊び続ける。
そうして私の愚かな行動を戒めているとでもいうのか。

「まだまだ、あんたはなにもわかっていない。生きるということが。そして愛するということが!」

という目かどうか定かではないが、まっすぐとわたしを見据える。

そうしたら結局は、「よしよし」と頭や背中やおなかをなでてあげるしかなくなる。
なぜか私は、毎日小さな失恋を繰り返している気分になる。それでいいのだろう、きっと。

(2006/09/07 わたしの日記より 相変わらず、お金のかかったおもちゃはシカトです。)

[相棒猫] 生い立ち

12.06.08

when she was a little kitty...5彼女の本当の生い立ちを、私は知ることが出来ない。
彼女に起こった、私の知りうる一番古い出来事は、姉妹共々スーパーのビニール袋にぎゅうぎゅう詰めにされ捨てられていたことである。

動物病院に勤める保護主さんが見つけたのでなければ、恐らくそのまま死んでいただろう。

ミルクから卒業し、トイレを覚えるまで、保護主さんが育ててくれた。姉妹のうち確か3匹は黒猫で、もう一匹が白黒。彼女だけ「毛色」がちがった。身体の大きさから、彼女が長女ということになっていたが、真実は彼女の母親しかしらない。どこで産まれたんだろう。どんなお母さんだったんだろう。こんな風にして、私は時折想像にふける。

保護主さんは「この子が一番強くて、すばしっこいんですよ」と言っていた。その割に、今の彼女は臆病で、おっちょこちょいで、遊んでいてもすぐに捕まってしまう。私が育てたから、こうなってしまったんだろう。

知らぬ間に捨てられ、知らぬ間に命拾いをし、知らぬ間に姉妹らと引き離され、私と一緒に住むことになった猫。
小さな命が命を産んで、捨てた命も捨てられた命もちっぽけだ。身体だけは彼女の何倍も大きく、魂は逆に吹き飛ぶほど小さい私と、彼女はいつまで一緒にいてくれるんだろう。

(2006/09/03 わたしの日記より。 いい具合にふてぶてしく育ちました)

[相棒猫] 命の恩猫

12.05.08

Marbles
何度でも言う。

私の猫は、私の命の恩人だ。

とある「流行病」にかかり、夢も希望も失っていた生きる屍と化していた私の、唯一の光が、猫だった。

言いすぎだろうか?
うん……多少言いすぎである。

しかし、「猫…猫……猫をかいたい」とうわごとのように繰り返していた暮らしは事実であり、その後ともかく、私は愛猫と出会うと同時に、病を緩解へと向かわせることが出来た。

ともに暮らしはじめてから、私の人生に光が差せばともに日なたぼっこをしてくれた愛猫。
そして再び憂鬱な薄曇りの日々に入れば、うなだれる私を背後からじっと見ていてくれたのは言いすぎでもなんでもなく、まぎれもない事実である。
まだ、たったの3年半ではあるのだが。

彼女は今日もまっすぐな目で私を見上げる。
はやく、はやく飯を食わせろと。
彼女は、私と一生一緒にいるんだ。そう思うと、今でも少しだけ涙ぐんでしまう。
例え背後から猫パンチをくらおうとも。

(2006/09/03 じぶんの日記から。彼女ももうじき6歳になる。)


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