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8年まえのやくそく 〜チィさんへ〜

相棒は猫である

11.03.23

ひーたん。ちっこいとき

8年ほど前。

インターネットの猫の里親サイトを見ていた。
いくつもいくつも。

それでうちから引き取りにいける範囲で、
ゆずっていただけそうな情報を見つけた。

里親サイトに写真はなく、私は保護主さんのいる動物病院まで会いに行った。

保護されていた猫は6匹。クロネコ4匹、白黒はちわれ1匹、トラ猫1匹。
みーんな女の子。
雨の日にビニール袋にぎゅうっとつめこまれて、郵便ポストの根元にすてられていたそうだ。
ぎゅうぎゅうにつめられたせいでみんな、体温をうばわれなかったのがよかったんですねと保護主さんは苦笑いした。

うまれたばかりの猫はとてもとても小さくて、わたしはそんな小さな猫を見たことすらなくて、猫というよりもネズミのようだと思った。

目もまだあいてない。ネズミどころか大きないもむしか。
それでもかわいかった。特に、トラ猫の子がかわいくおもえた。
今思えば、どこに差があったのかわからないが、猫があまり好きではなかった同居人も「クロネコはなんかこわい」などといっていたので好都合だった。

「いろいろな病気をしているかしていないかは、もっと大きくならないと検査自体できないものもあります。
おトイレを覚えてカリカリがたべられるようになるぐらい、そうですね生後2ヶ月になったらお渡しできるのでゆっくりかんがえてくださいね。」

そうだな、よくかんがえよう……。そうおもった。

私は猫を飼ったことがなかった。

ちいさな猫たちを実際に目にしてかわいいと思う反面

「もし、自分が飼った猫が、何かの病気にかかっていて、すぐに死んでしまったらどうしよう」

なんてかんがえてしまった。
死んでしまったら……なによりも自分が耐えられないのではないかとおもった。
小さくても命だもんな。やっぱり責任重大だなあと、それまで何ヶ月も一緒に暮す猫を探しつづけてきたのに、いざというときになって少々怯んだ。
その時一緒に住んでいた人間も私に念を押した。

「ふつうでいけば、猫の方が先に死ぬんだからね。大丈夫?」

大丈夫じゃないだろう。
決心はつかず、同時にどうしてもあきらめきれなかった。
私は猫と一緒に暮したかった。

飼う前から猫の飼い方だとかエッセイだとかたくさんたくさん読みあさってきて、それをもう一度読みあさって、毎日まいにち悩んで悩んで、ある時ふとおもった。

「明日の自分のいのちさえわからないのに、
こんなちいさくいたいけな猫のいのちになんの保証を求めているんだろう。
明日消えるいのちも、いのちなのに。」

ペットショップなんかだと生体保障なんていうのがあるそうだ。
たしかに外にいるこたちとちがって、病気なんかにかかっている確率は格段にひくいのだろうけど、
それはいのちを保証しているわけじゃない。
死んでしまったときに払われるお金が保障されているだけだ。

それでこんな風に考えた。

「これは、この子だけとの約束じゃない。
この子と一緒に暮すと決めることは、ただ単にこの子をパートナーにするってことだけじゃない。
ねこ族をパートナーにすると決めること。一生つづく、ねこ族との契約だ」

と。

わたしのうちにやってくるこの子は、すぐにではなくてもいつか死ぬ。
わたしがいつか死ぬように。

それでおそらくは、猫のほうが先に死ぬ。
別れの時、わたしはとてもかなしい思いをするだろうけど、
一代限りでねこ族とのパートナー契約を破棄したら、これからすごす子はきっと溜息をつくだろう。
あいつにはがっくりした、って。

そんな想像をした。

だからそのとき、もし状況がゆるせばまたもう1匹、一緒にくらしてもらう。
いきている限り、わたしができるだけ、ねこ族となかよくするという契約を結ぶ。
だからそのとき、もし状況がゆるせばまたあたらしくもう1匹、一緒にくらしてもらおう。

そんな覚悟をした。

いのちに保証がないこと。
保証のないいのちに身勝手に、いのちをはぐくませることなく死ぬまで生かすこと。

わたしがうまれてはじめて、自分以外に責任を持った瞬間だったかもしれない。
わたしは保護主さんにメールをした。
6匹姉妹のトラ猫さんをわたしにゆずってください、と。

それがひーたんだ。

猫嫌いのはずの同居人もすぐにひーたんひーたんとかわいがるようになった。
ひっこしを3回もして、同居人はいなくなり、ひーたんとわたしの二人きりになったけど、でもずっと昼間はこうだったもんね。二人きりだった。
あのいたいけな瞳は消えうせ、無愛想に磨きをかける日々だがそれでいい。
おなじく愛想のない飼い主と一日家にいっしょにいるのに愛想はいらない。

私は保護主さんと約束をした「年に1回のワクチンをかかさず、外には出さない完全室内飼いの猫として育てる」大原則をまもっている。
時々ケンカもするけれど、一人と一匹、よりそって生きている。

いつうまれたかわからないので、勝手に4/1を誕生日にした。
ひーたんはもうすぐ8歳だ。
いまのところ、病院にかかることもない。

それでも、たまに、ひーたんが死ぬことを想像して、
ひとりでしくしくなきながら寝ることもある。

うろねさんが言っていた。
「お別れ」の時が近づいているそのときに、
何をそんなにこわがっているの?とチィさんにいわれているようだった。
もうこわがらない、と。

さすがうろねさんはあのチィさんが選んだ人だ。
わたしがそうなったとき、そんなふうでいられるかわからない。

わからないけどでも、チィさんがうろねさんにそういったなら、
わたしは今はこの8年、静かにひーたんとくらしてきたことだけには自信を持とう。

写真でしかみたことないのに、チィさんが大好きだった。
ねこ族とヒト族のこと、この世とこの世のうらっかわ、全部知ってる目をした猫だった。
もうその猫っぷりが猫でなく、まちがいなく猫なのに、猫かどうかわからない猫。

わたしたち人間はえらそーにしていても、
猫たちと同じ、いつか消え行くちいさないのちだ。

わたしは、
まっすぐゆくには少々汚れているが、
できるだけ、すこしでも、怯まずそして居直らずにいこう

チィさんが骨になったこの日にあらためて思う。

チィさんありがとう。おつかれさまでした。

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